お知らせ

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2019年9月21日(土)
[レポート] 墨外 截金仏画展 会場の様子(会場:高野山金剛峰寺中門作業館)
2019年9月14日(土) ~ 16日(月)
[展示] 墨外 截金仏画展(会場:高野山金剛峰寺中門作業館)
2018年11月10日(日)
[ご案内] フェルケール博物館 墨外展 始まりました
2018年11月10日(土) ~ 2019年1月20日(日)
[展示] 墨外 -截金で描く仏画- 特別展開催(会場:フェルケール博物館

理念

Philosophy


墨外画の保存と展示を通して、万人に仏心を感じて頂くこと。

会長
前田耕作

副会長
前田晶子、新井サンポ


会長からのあいさつ

墨外は独り截金技法の研究を重ね仏画の制作に専念しました。その作品は平安仏画に範を取っており、表面だけを荘厳、美麗に飾るのではなく、生きた本尊の心を描き、截金仏画を現代に蘇らせました。墨外は生前、截金仏画や墨画などの作品を100年後、200年後の人々にも観ていただきたいと語っておりました。私どもはこの遺志を継いでいくために不可欠な修復や保存に注意を払い、展示を続けてまいりたいと思っております。


截金(きりかね、切金)

Kirikane

細金(ほそがね)とも呼ばれ金箔・銀箔・プラチナ箔を数枚焼き合わせ細く直線状に切ったものを、筆と接着剤(布海苔、にかわ)を用いて貼ることによって文様を表現する伝統技法です。細い線状の截金と、三角形・菱形・丸型などの形に切った截箔・切箔(きりはく)、箔をある形に截り透かした裁文(さいもん)、これらを単独あるいは組み合わせて表した文様を截金文様と呼びます。日本においては特に仏像・仏画の衣や装身具を荘厳するために発達してきました。

さまざまな截金文様(PDF)

截金の歴史

7世紀半ばの飛鳥時代に朝鮮半島や中国大陸より仏像彫刻や仏画とともに伝わったといわれています。
奈良時代には、仏像の衣や甲冑の装飾、着衣の地文に直線文と点綴文の截金が使用されています。菱、松葉、草花文や曲線で表現した鳳凰文などの截金文様を見ることができます。
平安時代には、仏画の荘厳に截金が取り入れられ、仏画に繊細な截金文様を駆使したものがあり、仏教美術の隆盛と共に截金は飛躍的な発展を遂げたことが窺えます。
鎌倉時代には、新しい文様が生まれるなどしましたが、室町時代から江戸時代にかけては次第に形式化し、金箔に代わって金泥による文様も普及したため、それ以降は継承者が少なくなっていき、その技巧は、東西両本願寺の庇護のもとで限られた人にのみ伝承される技になってしまいました。

墨外はほぼ絶滅に瀕していた截金の技法を独自で工夫し、自ら描いた仏画に截金を施して、古を偲ばせる精妙な画を描きました。


田中墨外 年譜

Life


1877年 明治10年 3月
福井県小浜市に生まれる

1889年 明治22年
兄 文蔵と共に上京

1898年 明治31年
橋本雅邦に師事

1903年 明治36年
橋本雅邦主催の日本画団体二葉会に属する

1904年 明治37年 4月
第二回二葉会展覧会に「三傑」出品

1905年 明治38年 5月
第四回二葉会展覧会に「竜頭観音」出品

1905年 明治38年 11月
二葉会秋季研究大会に「王維」出展

1906年 明治39年 3月 第五回二葉会展覧会に「西王母」出品

1908年 明治41年 1月
橋本雅邦 没後 仏画制作に専念
絶滅に瀕していた截金仏画の再現を志しその技法を独自で研究する

1925年 大正14年 4月
母方の前田姓を継ぐ

1936年 昭和11年
高野山明王院蔵「赤不動(截金)」を模写し寄贈

1937年 昭和12年 6月
東京都文京区護国寺月光殿に於いて仏画個展開催

1937年 昭和12年 7月
東京日本橋三越に於いて仏画個展開催

1938年 昭和13年 3月
東京都文京区護国寺に「愛染明王(截金)」寄贈

1941年 昭和16年
東京都港区芝青松寺に「釈迦如来像(截金)」寄贈

1943年 昭和18年
成田山新勝寺に「不動明王像」寄贈

1944年 昭和19年
栃木県栃木市冨士見町に疎開

1952年 昭和27年 10月
東京日本橋三越に於いて仏画個展開催

1952年 昭和27年 
東京国立博物館に「阿弥陀如来像(截金)」を寄贈し収蔵される

1953年 昭和28年 11月 
栃木県文化功労賞受賞

1957年 昭和32年 4月 
東京都武蔵野市吉祥寺の自宅にて死去 享年80歳


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